昭和14年(1939)夏、旧満州国とモンゴルとの国境紛争をめぐって、関東軍とソ連軍とが武力衝突した。病死も含んだ戦没者は二万人ともいわれている。北川氏はノモンハンの国境調査確定に加わり、現地踏査して、軍部の主張する国境とは異なる根拠を見い出した。 これはノモンハンの英霊たちへの鎮魂である。
北川四郎(故人)
大正2年岐阜市生まれ。昭和11年大阪外語蒙古科卒業。後輩に司馬遼太郎。満州国外交部に就職。国境確定会議後、開拓総局に転じ、昭和十九年応召。高知にて復員後、福岡で在外同胞援護会に入り、家族の帰郷を待つ。引揚を迎えて帰郷。岐阜県井奈波地方事務所勤務するも、レッドパージで職を失い、中央交易、中央化工、東紅商社等の役員を歴任する。
北川四郎・著
B6判上製本 208ページ